巌流本舗とは

巌流本舗
山口県下関市

下関で生まれた
巌流本舗

巌流島

三方を海に囲まれた下関は、海の幸・山の幸の宝庫。そして市内は数多くの史跡や文化財を有し、豊かな歴史と文化に彩られています。
巌流本舗は、大正10年山口県下関市彦島江の浦で「菓舗・梅月堂」として創業しました。

下関に浮かぶ船島は別名「巌流島」と呼ばれ、悲運の剣士・佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘の地として知られています。
この名所を末永く語り伝えたいという気持ちを社名と銘菓に託し、昭和47年、商号を「巌流本舗」に改めました。

武蔵・小次郎像
工場見学の手紙

世代を超え、
下関の魅力をつないでいく

下関の小学生にとって、工場見学といえば巌流本舗。(2024年現在休止中)
素朴でどこかなつかしい味のお菓子は、子どもたちが大人になった今でも心に残り、幅広い世代に愛され続けています。

巌流本舗は地元企業として、この素晴らしい下関の魅力を次世代につないでいきたい、そんな想いで、これからも変わらず地元の人々に愛されるお菓子を作り続けます。

巌流本舗

巌流島探訪

「巌流焼」の由来にもなっている巌流島をご紹介

関門海峡に浮かぶ巌流島。正式名称は「船島」といいます。
慶長17年4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し、敗れた佐々木小次郎の流派「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになりました。

現在の島は決闘当時に比べて3~6倍程度大きくなっていると言われ、武蔵・小次郎両雄の像や、巌流島文学碑などが建立されています。

関門海峡沿いには散策道や休憩所も整備されており、1時間あまりで、島一周の散策を楽しむことができます。
雄大な景観を眺めつつ、巌流焼片手に武蔵と小次郎に想いをはせてみてはいかがでしょうか?

武蔵・小次郎像

関門海峡の雄大な眺めを背景に対峙する武蔵・小次郎像

武蔵像(平成15年4月14日除幕)デザイン:広瀬直樹
小次郎像(平成14年12月11日除幕)原型寄付者:村重勝久

白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。
この後も絶えず兎禰の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きている面影があった。

巌流島文学碑

巌流島文学碑に刻まれた、作家 村上元三「佐々木小次郎」の一文。
そしてその下には、今まさに小次郎に木刀を振り落とさんとする武蔵の姿が描かれている。

画家の古舘充臣さんがこの絵を手掛けた頃、巌流島は未踏の地。だが藪が覆い茂る島に立つより以前、彦島から何度となくその姿を目にしていた古舘さんにとって、巌流島はとても身近な存在だった。古舘さんがこれまで描いた巌流島の作品は数知れず。
ただ、観光地として注目をされると同時に失われる昔の景観に、一抹の寂しさを感じずにはいられない。 「渚がね、とても綺麗だったんですよ」変化し続ける巌流島。だが古舘さんの瞼の裏には、今もかつての巌流島が強く焼き付いている。

巌流島を少し奥に入ってみると、ひっそりと佇むようにその石碑がある。
明治43(1910)年10月31日に島の中央に建てられるも、現在は位置が少し変わったとされる佐々木巌流之碑。
島の埋め立て完成を記念して建立され、碑文にも「舟嶋開鑿工事成功之際建立」とあるが、かつては小次郎の墓と伝えられる卵塔型の石もあったと言う。今でも言い伝えられる話によると「(巌流島の)小池のあたりに岸柳の墓と称せられやゝ卵塔型の、重さ十貫目位の石があった。この墓石を見るものの内で岸柳を悪む心のあるものは、足にて蹶り仆したがその祟りを恐れ帰りには、これを直して元の如くする習わしがあった」とされている。
かつてその地で命を落とした佐々木小次郎。彼の名は島の名となり、今もなお多くの人々の間で息づいている。

佐々木巌流之碑
佐々木巌流之碑