武蔵・小次郎決闘の地 巌流島探訪! 第一巻
![]() 現在の島は、武蔵・小次郎両雄の像や、巌流島文学碑などが建立され、関門海峡沿いには散策道や休憩所も整備されています。雄大な景観を眺めつつ、武蔵と小次郎に想いをはせる・・・。 1時間あまりで、島一周の散策を楽しむことができます。(唐戸桟橋から巌流島への直行便が就航しています。) |
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武蔵像・小次郎像 関門海峡の雄大な眺めをバックに対峙しています。
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主な見所
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船島(巌流島)
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武蔵・小次郎決闘の地 巌流島探訪! 第二巻
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森重香代子 歌碑 この島に 二人降り立ち 闘ひし むかしの男 恋ほしかる かな |
歌文集「周防長門はわがふるさと」の一首。森重さんが15年前、まだ整備されていない巌流島に船を借りて訪れた際に、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘を歌った。 森重さんの作歌50年と歌誌「香攝l」の創刊10年を祝って、「香攝l短歌会」の会員が建立。 |

武蔵・小次郎決闘の地 巌流島探訪! 第三巻
![]() 歌白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。この後も絶えず兎禰の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きている面影があった。
巌流島文学碑に刻まれた、作家 村上元三「佐々木小次郎」の一文。そしてその下には、今まさに小次郎に木刀を振り落とさんとする武蔵の姿が描かれている。 画家の古舘充臣さんがこの絵を手掛けた頃、巌流島は未踏の地。だが藪が覆い茂る島に立つより以前、彦島から何度となくその姿を目にしていた古舘さんにとって、巌流島はとても身近な存在だった。 古舘さんがこれまで描いた巌流島の作品は数知れず。 ただ、観光地として注目をされると同時に失われる昔の景観に、一抹の寂しさを感じずにはいられない。 「渚がね、とても綺麗だったんですよ」 変化し続ける巌流島。だが古舘さんの瞼の裏には、今もかつての巌流島が強く焼き付いている。 |

武蔵・小次郎決闘の地 巌流島探訪! 第四巻
![]() 佐々木巌流之碑
![]() 明治43(1910)年10月31日に島の中央に建てられるも、現在は位置が少し変わったとされる佐々木巌流之碑。 島の埋め立て完成を記念して建立され、碑文にも「舟嶋開鑿工事成功之際建立」とありますが、かつては小次郎の墓と伝えられる卵塔型の石もあったと言われています。 今でも言い伝えられる話によると、「(巌流島の)小池のあたりに岸柳の墓と称せられやゝ卵塔型の、重さ十貫目位の石があった。この墓石を見るものの内で岸柳を悪む心のあるものは、足にて蹶り仆したがその祟りを恐れ帰りには、これを直して元の如くする習わしがあった」とされています。 かつてその地で命を落とした佐々木小次郎。 彼の名は島の名となり、今もなお多くの人々の間で息づいています。 |
